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日本発 2003年1月27日〜ナイロビ発 2月5日

3回アフリカおたすけ隊に参加して

 アフリカおたすけ隊だけれどもアフリカに着く前に、今回のコースのひとつ世界救正教タイ本部でEMをつかった事業を視察させていただいた。これから現地支援活動の1つとして、URYUでも事業を展開していく予定である。
 そこはEMを使ったモデル農場とか、市のゴミ投棄所にEMを使う。
 普通ゴミといえば臭いものであるが、なんとそこの投棄所は臭いどこらか蝿1匹いない!。こんなところ見た事が無い。EMのすばらしさを実感できるところでした。

 視察を終えタイ国を出るとき空港での1こま・・・。

 搭乗手続きをしているとき係官が、皆さんのケニアの入国審査書、つまりビザが無いと言い出し上司の所へ行ってしまった。団体引率者の山崎さんと困ったなーと顔を見合わせた。広い空港の待合所で待つ。ドキドキしながらしばらく待たされた後、係官が来て「問題なし」とぽんぽん手続きを済ませ、おまけに荷物(ピアニカとか救援物資)がいっぱいあったのにこれまた計量せずどんどんコンベアーで奥へ消えてゆく・・・・・・。
 普通荷物の計量があって(1人20キロまで、セイゼイおまけで2・3キロ)、超過1キロにつき7,000円とか8,000円とかとられる。ホッとして山崎さんと喜ぶ!。有難いですねーーーー。ええんかいなーーこんなんでーと思いながら次の経由地、ドバイへ。(こんなんでーーとは、短時間で問題が起きそうで起きないことです。)

 ドバイで乗り換え、目的のアフリカ、ケニアへ・・・。

 久しぶりに戻ってきた。今度、大統領が代わってよくなったとか?以前より良くなったとか、その雰囲気を確かめる間もなく、エンブへ・・・。空港で少し換金したのと、電話のスクラッチカード(携帯電話を使えるようにする為のカード)を買ったのと、飲み水を買うだけぐらいしかナイロビに滞在していない。こんなことも珍しい。

 エンブでもEMを使った実験農場があり、そこを視察させていただた。

エンブに一泊し翌日13:15ナイロビへそこから飛行機(16:50発)でキスムまで約1時間、そこで待ち合わせの車2台に分乗して目的地のボンドへ。19:30スイテルホテルチェックイン。夕食後各自部屋へ。

 飛行機から見えたケリチョウのお茶畑ものすごく綺麗で広い、その広いお茶畑のお茶を一つ一つ手で摘む・・・。大変な作業だと思った。

 学校、病院、URYUで修理した井戸などを視察。

病院では・・1度病室に1歩入ったが後戻りしたぐらい酷い。申し訳ないけど・・・。小児病棟なんか西日がーーー・・・・日当たりが良くて良くて皆汗だく。よくもまあこんな熱い病室に、クーラーどころか扇風機も無い、ベッドの上に日傘でしのぐ・・・と思うけど、ここに入院できる子はいいほうで普通は入院できない。医者にかかれない。何が良いのかいつも考えさせられる・・・・。

 井戸は、昨年9月に修繕した井戸のパイプにドロが詰まって使えなくなっていた。現地の職人?といわれる人のレベルが又分かった。この人達にまともに仕事をしてもらえるようにこれから付き合っていかなくてはならい。時間のかかる仕事である。

 隊員の中でこの現状を見て、更に修繕するよう寄付を名乗り出てくださった方のお陰で、皆さんと別れてからすぐに修繕に取りかかる事が出来る。ありがたい事である。 
 ボンドでの滞在は2日しかなかった。3回アフリカおたすけ隊1グループはウガンダへ。これから一人、何から始めようか?

(2003.3.3.朝8:45.明拝  追伸 いくえの初節句だーーー)


2003年2月4日 晴れ

06:40 起床。近頃日の出が遅く、日の入りが早い。

ルアック井戸の件でジョラム氏見積書を持って来る。ルアックの地域の人々にも何かしてもらいたいので打ち合わせを現場ですることにする。

08:40 朝食−パックご飯とラーメンスープを食べる。09:30 洗濯。

11:00 ルアックヘ。

ニコラスにボーダーボーダー(自転車タクシー)を探しに自転車宇龍号で先に行ってもらう。ランブグ小学校前でボーダーボーダーを待つ。

11:30 ルアックへ着くとジョラム氏達がポンプをばらしていた。

パイプの中に泥が詰まっていたので1番下のキャッチ弁がとれずシャフトも曲がってしまう。パイプは上から3メートルくらいの所でポッキリ折れてしまうし・・・・。修理するしかない。
13:00になっても地域の人々のトップが来ないので、先に来たメンバーと話を進める。砂は村から出すことが出来るが、バラスはとても高くて出せないとの事。何時もこちら側が出すのは一方的すぎるので地域にも出来るだけ頑張ってもらいたいので粘る。

14:20 ミィーティング終了。

待たせたボーダーボーダーで家へ。 途中坂道は降りて歩く。それでも値段は同じ。

15:00 家着。

今日もカンカン照りで熱い。朝、黒いシャツを着た上に長袖のシャツを着るのを忘れてしまいずーーーーと熱い思いをした。お陰で腕がミディアムレアーです。

15:30 ランチラーメンを食べた。事務仕事。

19:30 夕食、パックご飯、パックおかゆを食べた。

21:00 みんなとお別れ。明日の飲み水を沸かし、体を拭いて床。

 

2003年2月5日

06:45 起床。朝日が綺麗。

08:00 ニコラス家の畑視察

帰り道オキディの叔父さんの家へよって、チャイとバナナをご馳走になる。

12:10 アジゴマーケットへ

12:30 数分してジャイカの人来る。本当にあまり待たず良かった。

13:00 ランチ.

ナイロビからずーと走って来たので、ボンドの町でランチにする。
食後スイテルホテルへチェックイン。

14:30 ランブグ井戸、ルアック井戸視察。15:30ホテル着。

16:00 プロジェクトについて話し合い。

19:30 夕食

21:00 部屋へ、洗濯、シャワー、電話チャージ。床。

 

2003年2月6日 晴れ

06:00 起床。

0700 朝食。

09:00 井戸視察。
サムの叔父さんの近くの井戸掘りかけの所、ランビラ井戸、ランビラ溜池、BADYAGO井戸、MAHAYA井戸、MIYAダム、MAHAYAディスペンサリー敷地内井戸、KOTENGO井戸、AEBUYU井戸、KOBAGO井戸、GANGU井戸

16:00 視察終了。ボンドにてランチ。

17:00 村へ帰る。

20:30 夕食−ウガリ&じゃこのスープを食べる。

21:30 床。

 

2003年2月7日 晴れ

06:40 起床。

08:30 朝食−チャイ&パン。8:45洗濯。建築計画。

14:00 ランチ−ウガリ&スクマ&ビーフシチュー。

15:30 建築計画。

20:00 夕食−ウガリ&スクマ&ビーフシチュー。

21:00 床。

 

2003年2月8日 

曇り、風も良く吹く、熱いせいか?

06:00 真上ぐらいにさそり座が良く見える。6:50起床。

08:30 朝食−チャイ。

09:00 サムとニコラスにボンドへ資材単価調べに行かせる。

    建築計画。

14:00 ランチ−ウガリ、スクマ、ビーフシチュウ。

14:10 サム、ニコラス帰って来る。

4軒のうち、2軒は閉まっていたとの事。後2軒も忙しいからとか言って単価表に記入してもらえなかったと言う。これじゃ仕事に出したのに何にもならない。収穫なし。
もう一度行かなくてはいけないと言って彼らを叱った。
出来たことは、コピーを4件分とる事と、魚を買ってきたことだけ・・・。

20:00 夕食−ウガリ、魚。

雨が少し降る。本当に少しだけ。東の方に雷が良く見える。皆、雨季が近いという。畑が忙しそうだ。

20:30 明日の飲み水沸かし。21:00体を拭いて床。

 

2003年2月9日 曇りのち晴れ

06:45 起床。

07:45 洗濯、マットレス干し。

08:00 日本へ電話したが繋がらない。

アンテナは5本中3本立っている、バッテリーゲージも空になるくらい電話したのに・・・・?

08:30 ジョシュア校長、診療所の件で来てくれる。

診療所の残りの仕事の見積もり、トイレ工事の見積もりをしてくれる。
トイレの穴掘り始めてもらうように頼む。
電気を引く件は、キスムまで行かないといけないので値段は分からない。来週行く予定があるそうだ。
サムに水汲みに行ってもらったが、今日は日曜日で白人ファームはやっていないとの事。ランブグ井戸まで行ったが11:00と時間が決まっている。これまたアウト!空振り。

14:30 ランチ−ウがり&魚。建築計画。

19:30 夕食−味噌ラーメン。

19:45 身体を拭く。

乾季のせいか?蚊がほとんどいない。有難い、虫もあまりいない。夜、彼らがいなくなると、孤独に打ち勝つため色々考える。ラジオ買おうかな?でもやつらに占領されるかー?NHKラジオジャパンの聞ける短波ラジオ探そう。ソニーのコピーでいいのがあった。見た目は悪いが一応NHKのラジオジャパンが聞けたから。床。

 

2003年2月10日

06:45 起床。

09:00 朝食−紅茶(ミルクが無いため)

10:00 水くみからニコラス帰ってくる。

ジョムラ氏が何か仕事くれと来た。診療所に先ず倉庫兼家を建てたいので彼に見積もりを頼む。

14:00 ランチ。

サムが、あまりにもランチが遅いので自分の家でランチしようと言っていた矢先である。大体いつもこの時間ランチタイムであるが・・・。

18:45 村の青年とコーヒータイム。

畑について、始耕すのにお金を出してあげるが、出来た作物を売ってその貸したお金を返してもらえるか?について話す。

19:10 エリック、青年帰る。

19:40 サム帰る。又朝まで一人ぼっち・・・・。

20:10 夕食−ウガリ、スクマ。20:30体を拭く。

NGOのCDC(ボランティア団体名)がモスキットネットの防虫洗濯に来た。無料で、各家庭にあるモスキットネットを持ってくれば防虫してくれるそうだ。1度すれば半年もつそうだ。

 

2003年2月11日 曇り一時雨

06:45 起床。洗濯。

08:10 朝食、紅茶。

08:20 ジョラム氏来る。倉庫兼家の見積書を持って。

こちらの検討の倍である・・・。色々話を聞くと、アメリカがサダムフセインと戦争しているので、石油の値が上がり資材も値上がりしているという。もう1度ボンドで、ガソリンや資材の値段を調べる必要がある。
明日1人ボンドへ出て、調べてみることにしよう。

診療所のトイレの穴視察。大きな岩が出てきて穴の場所を変え又掘っている。約束の2.5フィートの幅よりかなり狭い。彼らはどう計ってこの幅が2.5フィートと思っているのか?

現場で色々考えていると、近くのこの辺の顔役ムゼー登場
(ムゼーとは?スワヒリ語で年配の男の人に対する尊敬語)。

彼の家へ行く。奥さんは5人いたが今は3人だそうだ。土地も30エーカーあるそうで、ひとつ土地をやるからお前の家をそこに建てろという。オキディの叔父さんの所でも同じ事を言われた。この辺の社交辞令なのか??本気なのか???
そのムゼーの子供、4ヶ月の女の子が体中水ぶくれ!。始見たとき「火傷か?」と聞くと「違う」という。ボンド病院で診てもらったが処方箋だけで薬も注射もなし。やっぱここもここに来る前に活動していた所と同じかーーーーと思った。

13:15 雨が降ってきた、洗濯物を入れる。まだ乾いていない・・・。バケツ1杯ほど溜まる。(トイが受けてある分だけ)

14:00 ランチ−ライス&ビーフシチュー。

20:10 夕食−ウガリ&ビーフシチュー。20:30明日の飲み水沸かし。

21:00 頭洗い、体拭く。床。

 

2003年2月12日 曇り

03:00 小雨。6:45起床。

08:50 朝食−チャイ&ポップコーン。

09:30 昨日の診療所の近くのムゼーの家の子の所へ行く。

家を尋ねたら・・・・なんかイヤーーーな感じ。みんな集まって炊き出しまでしている・・・?。これわひょっとして・・・と思い近くにいた人に尋ねるとやっぱりだった。その子が死んだ!!!との事。エッ!早速ムゼーに合う。ムゼーはちょっと落ち込んだ感じだったが「おはよー」と向こうから声をかけてくれ、挨拶の後、あの子は神の所へ行った、昨夜7:30頃だったと。こっちは声にもならず、小さい声で「ポレ」(スワヒリ語でかわいそうにとか、ごめんなさいという感じの意味)と一言。こっちは落ち込む一方だが、向うは慣れているのか?やはりムゼーであるのか?一晩経ったからなのか?落ち着いている。サムとムゼーが現地語で(私には分からず)色々話していて。

こんな時にと思ったが、ムゼーが「診療所の土地の境界を少しずらしてお前の家を建てろ、ただでやる」と言う。落ち込む気が少し立ち直って「有難う!」と礼を言う。

その後、母と子に会わせて貰い母に悔やみを言う。やっぱり母親はかなりショックだったらしく、ぐったりしていた。目がウルウルしてくる。自分の子とダブってしまう・・・・。今までこんな感じは無かったが、人の親になってやっとと言うか?ンーーー。

サムは「水疱瘡はハタリ(スワヒリ語で危険という意味)だ」と言う。せっかく病院まで行っても薬がなく、処方箋だけである。幼児と妊婦はただのはずだが、いくらただでも薬が無くては意味が無い。こんなことはこの国じゃ何処にでもあって当たり前のことだけど・・・。
今までもそう思い、そんな死に直面しても「まっしゃーないなーー」ぐらいにしか感じなかったが、今は違う。かなり参った。目がウルウルするもん。イヤー参った。少しウルウルしながら、ムゼーの家を後に、ボンドの町へ。

昨日、ジョムラ氏が油も建材もみな騰がったと力説するので今日はどれぐらい騰がったか、この目で確かめる為ボンドへ来たが、どの建材店(過去に単価表を書いてもらった店)へ行っても値段は上がっていないとの事。一軒だけ、波トタンが480から490に10シル(ケニアの貨幣名称)だけ騰がったと言うだけでセメントも同じ値段である。ガソリンスタンドで、灯油や、ガソリン、ディーゼルの値段を聞くが50パーセント近くも騰がっていない。ほとんど変わらない値段である。奴めー。

サムは横に首を振り彼を使わないように無視しようという。
ちょっと調べれば分かることなのに、なぜ彼はこんな事を言うのか?今まで彼が接した外人は、すぐ彼を受け入れ仕事を彼の言うまま与えたのか???である。もうちょっと彼の儲けが薄ければ彼に仕事を頼めたのに。それともこちらが舐められているのか?

ここに来る前に活動していた所でいた時も、他の団体はものすごい破格値で現地人を雇う。その為仕事が終わった人は、次の仕事にありつけない。そらそうだ。普通100シルの所を300シルから1,000シルほど与えているのだからおいしいよ。そんなおいしいのもう有るわけない。そんなことNGOの知ったことじゃない。
外国のNGOの人々は予算を使い切れば、会計さえ合っていれば、その場さえ良ければそれでいいのだから。

でも長い目で見て、現地の人の事を考えればそうはいかない。彼らの首を締めないように、その場その場の物価に合わせていかないと・・・この辺の折り合いが難しい。こちらも期限が有るし。予算もある。

彼を普通の村人に戻すのは大変かもしれないが、気長に付き合ってみようと思う。

ボンドから帰りアジゴマーケットで前回砂を買った店の人に出会った。彼に砂や砂利のことを聞くと以前と値段は変わっていないと言う。有難い。確実な値段は明日、店に来てくれと言うので、行って見ようと思う。ガラスの値段はジョシュア校長が言っていた通り。

のどが渇いたし物価調べも終わったので、サムとソーダを飲む。

13:40 智恵さんへ電話したが繋がらず・・・と思ったがすぐ電話してくれた。「電話したー?」海外からの電話表示は不通知と聞いたが、さすが奥様分ってくれた。3分間話す事が出来た。Very good!!

16:00 ジョムラ氏が2つ目の見積書を持って来る。

前回よりはかなり安くなった。まだ高い所もあるがいい傾向である。土壁家や、診療所のトイレ穴の件など色々話す。

彼いわく、もし頼んだ仕事がうまくいかなくてもすぐ首にせずよく話し合ってやっていってくれ、なるべく首にしない方向で、と言う。今までの私であればすぐ首にして次の人を探したりしたが、今はちょっと角が取れてきたので、そうしようと思っている。彼もちょっとは自分のしたことが判ってやっぱり仕事が欲しいのだろう。お互い歩み寄ったかな?でも、私はもう一度けん制しておいたが、彼は又私と会う約束(ルアックの井戸の件)があるので、ニコニコしながら帰った。

19:10 夕食−ウガリ&キャベツ・芋の炒め物

21:30 体を拭いて,床。