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2002/08/27

19:25関空発バンコク行きタイ航空727便(JAL727)
バンコク乗り換えドバイ行きエミレツ航空ドバイ乗り継ぎナイロビ行き

2002/08/28

12:10ナイロビ着 空港内で帰路につくAAAの東アフリカ視察団と偶然にも出会いました。

テッコー旅行社のメンバーが来ており、テッコーにより、

そこでカニケラアクショングループのデニスと初めて会いました。

そこで簡単な打ち合わせをして、明日何人かの関係者と会い、

携帯電話の購入などの世話をしてくれる約束が出来ました。

ナイロビの第1夜はいつものクオリティホテルです。やっと到着いたしました。

2002/08/29

今日は朝からナイロビ市内へ、奥地へ行くための準備物を仕入れに行きました。

携帯電話とソーラシステムで約34000ケニアシリングかかりました。

高い買い物でしたがカニケラでも携帯電話が使えるようです。

またこの日は、カニケラ・アクショングループの人達と会合が持てて大変よかったです。

クオリティーホテルに6時に帰ることが出来ました。

その後、携帯電話とパソコンのつながりが悪くて心配しました。

8時30分に夕食に行くことが出来ました。明日11時30分のキスム行きのバスに乗ります。

ただ今日は、ケニアに一番慣れてるはずの明が責任感と緊張のあまり

肩がパンパンに張って辛そうです。明のおかげで私と一圭はいたって元気です。

もう12時になりますので休ませていただきます。

まだまだ本格的な活動の報告が出来ませんが、新たな報告をお待ちください。

今日も一日ありがとうございました。


2002/08/30

こちらの夜明けは6時45分頃、白白とあけてきます。

お日様と共に一日が始まります。今日は移動日になりました。

朝からナイロビ市内へ出掛けて両替と薬局での買い物を済ませ(昨日できなかった)

午前11時30分発のキスム行きのアカンババスを待ち45分遅れで12時15分に発車しました。

途中から舗装が悪くがたがたの道を、おんぼろバスで時速100kmでぶっ飛ばして走ります。

途中ナクルで15分休憩して午後6時30分キスムに到着しました。

タクシーを捜して約1時間余り掛かってボンドのスウィテルホテルに到着しました。

みんな疲れて大変。明日は休養日にしようと思います。


2002/08/31

今日は一日休養予定でした。

自由時間、思い思いに過ごす予定でしたが、

洗濯すんで一息してから、一圭と二人でボンド市内散策

明日はいよいよカニケラ村へ・・・・・。

どんな一日になりますやら。


2002/09/01

朝からボンド市内で買い物。

砂糖、油、調理コンロ、洗濯のたらい、やかん、なべ、コーヒーカップ、

ステンの器、食器など色々買いました。

昼食を終えてから、ジョージ、一圭、私と三人でカニケラーのオキディホームを見に行きました。

ボンドのバス通りをマタトゥ(小型バス)に乗ろうと歩いていたら

マタトゥがバックしてきてgoing Kisum?と尋ねてきた。

まだ空だったので、ラッキーと思って乗りこみましたが、これが曲者なかなか出発しない。

後ろからきたマタトゥが先に行ってしまい、まだ客待ちのクラクションを鳴らす。

ぼつぼつ客が増えて満席と思いきや、まだ出発しない。

何故かなと思っていたら、後ろからきたバスの乗客が4人降りて、また乗ってきた。

結局スタンダードのキャラバンに運転手、車掌入れて23人がひしめき合って乗って

時速100kmを越すスピードで走り出したのです。

一人20ksh(ケニアシリング、日本円で約40円です。)支払ってランブクBSで降りました。

そこでボーダーボーダー(自転車タクシー)を雇い、

自転車に揺られてオキディホーム(一人40kshかかりました)へ着きました。

私は2月以来の訪問です。オキディママとジョシュア、ジャクリーン、ニコラス達が待っていてくれました。

1ヶ月お借りするお宅を拝見しました。家はまだ工事中で土壁も乾きたて、

外もセメントを塗りかけたところで職人の小手など道具も置いてあります。

土壁と土間ですがベッドを2つ置いてあるので何とかなりそうです。すこしびっくり。

暗くならないうちにボンドへ帰えらないといけないのでボーダーボーダーに乗りBSまで。

ジョージは自分の家へ帰りました。

ホテルへ帰るなり、ゴザ2枚とマットレス1枚を買いに出ました。

今日は大変色々経験できた一日でした。ありがとうございました。


2002/09/02

ボンド最後の朝、今日はオキディホームへ移動です。

荷造りをして小型トラックをチャーター(900ksh)して,10時30分に到着しました。

カニケラーアクショングループのジョージとの約束の時間は10時だったので慌てましたが、

彼らは来ず、昼ご飯にと即席のカレーうどんを作っていると

オキディ一家の若い子達が何か手伝えることがあるかと大勢来てくれたので

のびのびになったうどんを8人で食べました。

デニスとジョージが現れたのは午後2時でした。

私達は、ソーラーシステムと配電盤、インバーターとの配線を、

切れないペンチとマイナスのドライバー一本でやり終えたところでした。

彼らが来たのでAAAより依頼をされている修復予定の井戸を見に現場へ向いました。

途中で今度ピアニカやサッカーボール、バレーボール等を贈呈する予定の

ランブク・プライマリー・スクールへ寄り、

校長先生他三人の先生午後授業で残っていた生徒達の歓迎を受けました。

最後に診療所建設現場も見に行きそこでは、ランブクの村長(最長老)とも会いました。

どの場所へ行っても必ず大勢の人が集まってきて私たちに大きな期待を寄せているのがわかりました。

視察を終えてオキディホームへ帰りました。

6時45分に蛍光灯に点灯しましたが7時にはバッテリーがイエローランプになったので消灯。

最初の点灯は15分で終わりました。今日も一日ありがとうございました。


2002/09/03

6時45分、日の出。ご来光を拝みました。
今日はルアックへ行く日です。朝から急いで朝食を、とラーメンを作っていると、

ジャクリンが朝のチャイが出来たと呼びに来てくれました。

ちょうど食べごろと思っていたラーメンを持ってオキディママの家へ行くと

朝のチャイが用意してくれてありラーメンもみんなに食べてもらいました。

9時にボーダーボーダーが5台迎えに来て、ルアックへ出発です。

一台往復140ksh(5台で700ksh)です。

ルアックでジョージと出会い、リペアする井戸に行きました。

そこには、デニスの他に井戸のコネクションと名乗る人達が大勢いました。

ひとしきり彼らの主張を聞き、この井戸もリペアすることにして話が終わりました。

私の挨拶を一圭が英語で訳し、デニスが現地のルオー語で訳す二重通訳ですが

何とか伝わってくれたと思います。

みな一応に首を振り、にこやかな顔で答えてくれました。

それが終わるとデニスが、病院を訪れて下さいとSt.Erizabeth lwak Hospitalへ向いました。

そこは、学校と病院が同じ敷地内にあるカソリックの教会でした。

病院へ行き責任者のシスター(ナースでもある)にお会いしました。

病室を見まわり入院患者さんをお見舞いしました。

シスターに再び挨拶をして悪路を再びボーダーボーダーの尻に揺られて

(登りだったので半分は歩きましたが)帰ってきました。

明とジャクリンは家へ帰り、一圭、ジョシュアと私はボンドへ電話のクレームで行くことになりました。

午後2時にボンドについて昼ご飯を食べ、買出しをしてモバイル・ショップへ。

昨日買ったスクラッチカードが電話に入力できず日本との連絡が取れないので、

何とかなるかと文句を言っても無駄かなと思いながら、必死でしたが夕方には一枚が入力でき、

残りのカードは大丈夫というので、新たに一枚入れてくれというとやはり入らなかった。

6時になったので明後日もう一度来るといって帰ることにした。

オキディホームに帰ると、君達に見せたいものがあると、親戚の男が体長2m以上あるヘビを持ってきた。

帰るなりびっくりさせてくれるおやじだ。明は別の親戚の男とさとうきびを採りに行って帰ってきていた。

さとうきびは10本はある。3人でどうやって食べんねん!

明は今日の昼ご飯はウガリだったと喜んでいた。

暗くなるまで、オキディの親戚の人達と、しばしお話。

真っ暗な中で、ルオー語とスワヒリ語、英語、日本語が入り乱れて、

私にはあまり良くわからない会合だった。

その後夕食をいただき、9時に床につきました。

今日も3人元気に活躍できてありがとうございました。


2002/09/04

今日は忙しい一日でした。朝起きて30分もすると、ジョージが来ていました。

一圭と二人でキスムへ井戸のポンプの値段などを調べに行くというのです。

今日はランブク小学校へのピアニカとサッカーボール、バレーボールの贈呈の日なので

午後2時には小学校へ来るようにと約束をして、送り出しました。

午前中、明と私は部屋で贈呈式の準備をして午後に備えました。

1時すぎに昼食をいただき、45分に出発できました。

徒歩で40分、2時25分に小学校へつきました。一圭とジョージは先に来ていました。

勉強をしていた子供達が全員集まり、学校職員、PTAの関係者など集まり歓迎してくれました。

まず子供達の歌とピアニカの演奏、校長先生の歓迎の言葉、私の挨拶、ピアニカやボールの贈呈、

子供達は歓声を上げて大変喜びました。

贈呈式終了後、サッカーの試合を見学しました。

上半身裸のチームと服を着たチームです。両チームとも裸足です。

荒削りですが、運動能力が優れているので、キック力、走力、小学生とは思えない力

(8年生まであるので中学生なみ)です。一圭はピアニカの指導をしていました。

私達が、帰るときにはサッカーはまだまだ盛り上がってました。ちなみにここは標高1100メートルです。

5時過ぎにオキディホームに帰りつくと、

明が「今からジョシュアが生の魚を買いに行くそうだから、見に行きませんか?」というので、

ジョシュアに、近いのか?と聞くとすぐ近くだというので、魚を見に行きました。

結局、歩いて15分、自転車に乗って15分、自転車を預ける家に寄って10分、

歩いて5分マタトゥに乗って5分結構、遠いでした。

テラピア(100ksh×3匹)を買って、帰りついたのが暗くなった7時30分でした。

明と二人で今日は晩御飯あるやろか?と、話しながら待つこと2時間

やっとテラピア料理にありつけました。

一圭は現地の言葉と料理の勉強をしています。

今日も一日ありがとうございました。


2002/09/05

6時45分の日の出を拝むために40分には外へ出て、と思っていたが、

ランプの消し忘れチェックをしたり、カメラを出したりしていたら、

結局お日様の出る瞬間は見れなかった。残念。

今日もみんな元気です。

私は特に、夕べベッドのへこみを修正でき枕をしたので肩こりが少し良くなり、

頭痛もなく、すこぶる良好です。

こちらのベッドに敷くマットレスが柔らかくて、寝ていると身動きできないほど低く沈んで寝苦しいのです。

朝から、ジョージがやってきてランブクの井戸
のリペアの契約をしました。

彼の見積書も、契約書もこちらで作り、昼に完成しました。

昼食後、ボンドへ出掛け買い物とモバイルのクレームに行きました。

2inchのマットレス(420ksh)2枚と殺虫剤(235ksh)他、

モバイルのほうも何とか片が付き、帰ることが出来ました。

帰りのマタトゥで新記録。今日は大人23人と子供が2人合計25人でした。

晩御飯をいただき、家へ戻る途中で空を見上げると、

真上からやや斜め下に大きなスコーピオン。星空が大変きれいです。

今日も一日ありがとうございました。


2002/09/06

今日は6時40分から待機してお日様の出かけから、

完全に日の出までを拝むことが出来、日本のことを思い合掌しました。

今日は明がキスムにジョージと一緒にポンプを買いに行きました。

一圭はサムとジャクリンとで水汲みに行って、ルオー語の勉強と、洗濯。

私は、パソコンに向って溜まった日記を整理しています。

ジョシュアとニコルスはボンドへ出かけました。

日本の皆さん連絡が途絶えて心配をかけました。

色々アクシデントが続いてやっと通信の要領がわかってきて今日送ることが出来ます。

また、ホームページもやっと更新できますので一度お眺めください。

それから、こちらへは写真は送らないようにお願いいたします。

なにぶんにもモバイルの性能、電波の微弱等、問題が多いので

写真一枚のダウンロードに1時間以上かかります。


2002/09/07
朝から曇り空でお日様は見えません。

ジャクリンは朝から昨日溜めた雨水でおお洗濯です。

私達も朝から、洗濯しようとしたら、ジョシュアとサムが洗濯しに来てくれました。

二人が洗濯をしてくれるので、一圭と、電話とパソコンを持って小高い丘に登り

送信を試みましたが、パソコンの充電が十分でなくジ・エンド。

8時過ぎ、日本の自宅に急遽連絡を試み娘の声、用事を娘に託し、

やっとつながった電話を切った。

ジョージ達は、今日から井戸の修理をはじめました。昼頃様子を見に行くと

大勢の人達が集まり、井戸水の掻い出しをしていました。古いポンプは無造作に

横たわっていました。

井戸の様子を見て帰る途中でオキディさんが車で、ナイロビからやってきてくれ

ケニアに来て始めて出会えた。その後色々話し合うことが出来て、

また村の診療所の完成のための話し合い。コミッションの人との話で、土地の

使用のことや事務所の設置の土地貸借の証明書と地図、PO.BOXの設置の件等、

見とおしがついてきました。

このパソコンの充電が出来次第、丘に上ります。


2002/9/8

色々通信にはてこずってます。

オキディホームではかなりメールをつなぐのがむつかしいです。

キスムに行ってもあまり良くならないと思います。

今日は日曜日だったのでオキディホームの前でつながったと一圭が

喜んでいました。今日はプロバイダーが空いてて良かったのかなと

思います。機会があればもう少し良くなるでしょう。

今朝は、暗いうちから雨が降っていました。今日は休養日にしようか

と思ったのですが、いつも私達の手伝いをしてくれるサムの家を訪問

しました。徒歩で30分からかかりました。サムの家で彼の父親と

出会いました。彼は病気で、村には沢山病人がいると聞きました。

彼の村の中を各家を訪問して歩きました。病気でも貧しいために病院へ

行けない人がたくさんいます。

夕方5時30分にオキディホームに帰りました。


2002/9/9

昨日歩きつかれて良く寝ました。

今日は朝日に起こしていただきました。

朝食にマンダジ(揚げパン)、バナナ、レモンティーを、いただきました。

こちらの食事にもなれてきましたが、今日は一番日本でも食べるような朝食でした。

今日は明と一圭とサムには、ドリまで、PO.BOXの設置と、砂を買いに行って

もらいました。私は、昨日の調査の続きです。

ある家に行くとそこにいた男の人は、右足の指先が完全に腐り、ひざから下が

壊死状態になった人で、彼は付け根まで痛いのだと私に訴えてきた。

あまりの状態なのでショックでした。こんな状態になっても病院に行けない人が

いることにショックでした。

日本では病気怪我ともこんな状態になることは考えられません。

本当は簡単に治るような怪我であっても、治すことが出来ない国なんだなと

思いました。緊急レポートを見てください。

明が帰ってきて、ドリはあまりに小さい町なので将来のことを考えると、

少し遠いがボンドのほうが買い物その他、色々好都合だと思ったので

今日はPO.BOXは設置しなかった。とのことです。


2002/9/10

今朝は雨がしとしと、雨季はまだですが異常気象だと思います。

朝日は見ることが出来ました。今日はランブグの井戸の完成日。

一人の足に包帯を巻いた女性に気付きました。明が言うには象皮病

じゃないかというのです。足が異様に膨れ脹脛が壊死してただれを

起こしている。医者は切断しかないというのです。

夕刻、激しい雨が降り、声も聞こえない状態でした。

でも雨が多く降るのでありがたいです。

たらいや水タンクに3杯取ることが出来ました。

私達がこの土地に来てから雨季が早まったようです。

日本では、雨が降るとあまり喜んでいない自分ですが、

ケニアにいると本当にありがたいです。今日も1日ありがとうございました。


2002/9/11

待ちの1日でした。

今日はルアックの井戸の改修の契約の日でした。

朝からジョージの来るのを待ちつづけ、結局彼が来たのは午後2時でした。

それから契約書や見積書の作成で時間がかかり、結局契約が成立したのは

5時でした。アフリカ時間の体験を身を持って体験いたしました。

あまり夜は物騒なので外を出歩くことはしないでとオキディ家の人達に

言われています。寝るときもしっかり施錠をするようにとのことです。

長ーい1日でした。今日は何をしていたのだろうと反省の1日でした。


2002/9/12

今日も診療所の土地のことでコミュニティの人が来る予定になっていましたが

明と一圭を残してサムと二人で彼の家へ向いました。

帰る途中で養鶏をしている家があったので、卵を30個(160ksh)買いました。

朝食をいただいてから、明とサムと3人でコミュニティの人のうちへ尋ねていきました。

彼は学校の校長先生とのことで家には不在でしたが、

明日午後4時にオキディホームを訪れてくれるよう依頼しました。

また、今回事務所開設に貸して頂き、診療所建設予定地の実際の姿が

わかりにくいので低木の伐採も依頼出来ました。

9時から午後1時まで明とサムと三人で調査に歩きました。

一圭は送信にトライしていましたが途中で電話がかかり駄目になり

それからはかからないとのことです。

今日は思いきってボンドへ行ってスウィテルホテルに泊まってホームページ、

メールの作成と送信、久しぶりのシャワーを満喫しようということになり

準備をして、出発してやっとメールが送信できるようになりました。

今日も1日が終わり日本に報告が出来るのが大変うれしいです。


2002/9/13

昨日家内に電話をしました。

午後3時を過ぎていたので日本時間の午後9時過ぎだと思います。

昨日は京都。意外と元気な声で「京都、行ってきたよ。」と言う

返事だったので少し安心しました。

留守の間しっかり家を守っていてくれてありがたいです。

毎日元気に頑張っているようなので、こちらも励みになります。

昨夜日本にメールの連絡をつけるのと、1週間振りのシャワーを浴びるために、

ボンドのスウィテルホテルに泊まりました。

朝からPO BOXの設置をボンドの郵便局でしました。

これからの住所は、 PO BOX 446 BONDO KENYAになります。

一圭と私は診療所のコミュニティの人が4時に来ると言うのでオキディホームへ戻り、

明はジョージとキスムへ2号井戸のポンプを買いに出かけました。

結局来客は現れず、待ちぼうけになりました。

どたばたした1日でしたが、3人とも元気でありがたいです。


2002/9/14

今日は診療所の土地2エーカーを、

村人達に低木の伐採を依頼してあったので、

仕上がりを見に行きました。

この診療所の土地は村が私達URYUに

貸してくれる予定の土地であるが、実際にどのような土地なのか見当が

つかなかったので、思っていたよりも南側に広がりのある土地で診療所と

事務所以外にも十分な土地でほっとしました。。

午後はルアックの2号井戸の改修工事を見に行かねばならない


2002/9/15

今日は午後からボンドへ出発。

ウガンダでAAAの拠点を作り活動している山崎敬充さんと出会い、ナイロビへ。

明後日、エンブ市を訪問することになり4日間留守をすることになった。


2002/9/16

昨日はボンドでスウィテルホテルに泊まる予定でしたが、

Wブッキングになっていて結局、別のホテルに泊まることになりました。

そこは蚊帳も無くシャワーも水しか出ないところでした。

一応電気は点きましたが携帯電話のアンテナが立たず、

連絡が取れませんでした。

夜、眠っているとガリガリとアリが一晩中ベッドと天井をかじっていました。

電気を消すとマラリア蚊が、プーンと飛んでくるのです。

結局午前二時ごろから朝まで蚊と格闘です。

朝ホテルの使用人がたらい一杯の湯を持ってきてくださったので

それで身体を拭いて、やっと一息つきました。

午前8時30分ごろ車でホテルを出発して、ランブクの井戸と

、ルアックの井戸修復現場を山崎さんが視察するので寄り、

その後、約400kmひたすら走りナイロビに午後5時に到着しましたが、

中心街で学生と警察官の衝突があって市内を迂回迂回の連続で渋滞の

途中で夕食を済まし、ユースホステルに着いたのが午後10時でした。

ここは、4人部屋でトイレ、シャワーは共同で、お湯の出るのが朝だけでした。


2002/9/17 

今日はエンブ市の塩尻さんを訪問しました。

私達は、ボンドの農業を活性化させることも一つの活動の目標に

おいているのですが、塩尻さんがケニアでEMによる農業の先駆者に

なりケニア政府の認可を得ることが出来たそうなので、私達も無農薬で、

有機肥料による野菜、果樹栽培を新しく建てる事務所のそばに畑を

借りて栽培しようとの事で訪問いたしました。今度EMの研修に

10月のはじめに再び訪問することになっております。


2002/9/18

朝から、やっとメールが繋がりました。ご心配おかけしました。

午前は車整備のことで明が出かけ、昼山崎さんを送りに空港へ

16時発のガルフ航空で帰国する予定ですが、Wブッキングで

13時には空港へ着いたのですが、待機になってしまったので

こちらもボンド出発を彼のチェックインを見届けなければ出られず、

結局15時45分にOKになり見送ることが出来て、

さあ出発と思ったのですが、日が暮れるのも間もなくだし、

夜、長距離を走るのは危険だ、とのことで、もう一晩泊まることにして、

ユースホステルに戻りました。


2002/9/19

ホームページ(http://uryu.tripod.com)を更新することにして

サイバーカフェへ行き、昼までかかりやっと更新することが出来ました。

ケニアではプロバイダーに少し問題があり、なかなか繋がらないので

かなりてこずって時間がかかりました。

明るいうちにオキディホームへ帰るためにはすぐに出なければと、

出発しましたが、途中ナイロビを出て1時間ほどで、標高2400Mの

道路から雄大なグレート・リフト・バレーを左に望み、マサイの村を

横切りシマウマを横目にナイバシャ湖、ナクル湖を過ぎケリチョウの

綺麗に整備された茶畑の中を進み、かすかにビクトリア湖の水平線を

眺めキスムの街中を過ぎ、ボンド街道を雨雲を追いかけて、日も暮れた

午後7時30分に到着しました。

私達の活動をサポートしてくれている、オキディ氏の弟のジョシュア君が

待っていてくれました。さあ、また明日からがんばろう。

今日も1日ありがとうございました。


2002/9/20 休養日


2002/9/21

今日は朝から洗濯をしていると、
8時に診療所のコミュニティをしている、ジョシュア先生が、

ボンド県のレターを、持ってきてくださいました。

そして午後3時に診療所の近くで会合がありコミュニティのメンバーが

全員集まり、事務所の土地の無償貸与の文書を作成してメンバー全員の

サインを貰うことが出来、活動の拠点が正式決定致しました。

ランブクヒルが見えビクトリア湖が遠望できる土地です。


2002/9/22

今日は午前中ミーティング。

今後の取り組み方や、NGOを組織してこの地方の発展を図るには。

将来、それぞれの立場での取り組み。などを話し合いました。

一圭の発案でランブク村内の家族調査をすることになり、

一圭と、ジョシュアが担当に。調査表なども作成。


2002/9/23

さあ月曜日だ。昨日ゆっくりさせてもらったので今日は村内を一生懸命歩くぞ!

と、病人調査に出発しました。

午後3時頃、雨になり、ロセマリーさんの家で雨宿り。

30分程して小雨になったので帰りを急ごうと外へ出たが、またもや本降り。

1軒の家へ飛び込む。ありがたかった。オキディホームへ帰ったのが午後5時でした。

アーお腹減った。今日はすごく歩きました。


2002/9/24 1日村内の家族調査、農地調査


2002/9/25

今日はルアックで行なっている井戸の改修工事が終わる日です。

朝から3人とも忙しく動き回っていましたが午後ボンドへはがきを

出しに行き、その帰りにルアックに寄って工事の完成を見届けました。

28日に井戸完成のセレモニーをしてくださることになりました。


2002/9/26

久しぶりに家内の夢を見ました。それも25年前の若かった頃の夢でした。

・・・・・ここへこうして来れるのも、家内のおかげだなとつくづく感じました。

朝食を頂き出発です。午前中明、サムと一緒に農場調査に回りました。

午後サムの亡くなった叔父さんの古い家と、農場を見に行きました。

ここは診療所の土地の隣接地で農場として借りようと思っています。

古い家は修理をして倉庫に使えるようにしようと考えています。

農地の広さは約1ヘクタール程あります。近くの家で井戸掘りをしていたので

そこも見学に行きました。

現在深さ16Mほどで後10M掘るといっていました。かなりの岩石があるみたいです。

私達も事務所建設予定地に井戸を掘らねばなりませんので参考になります。

一圭はジョシュアと家族調査をしてくれてます。毎日夕方まで頑張って、

ランプの明りの下でパソコンでデータベースを作ってくれてます。


2002/9/27

ここの国の人達は何を基準に生きているのかな。

今月中頃から、小学校の先生のストライキがケニア全土で始まり、

子供達がかわいそうです。年末までやると、先生達はいきまいてますが、

どうも、大人達は自分のことしか考えない人間が多いようです。

色々苦難はあるだろうが、わたし達は、この国の子供達を支援してゆきたいと

思っております。今日も色々な調査と井戸の引渡し式のための準備でした。


2002/9/28

今日は、井戸の引渡し式。

朝から、9時の約束だったのでルアックへ向い、8時40分に到着致しました。

コミュニティのメンバーと地元の人々から、歌とおどりで歓迎され、お礼の言葉や、

新たな要求?を述べられ、最後に挨拶をして、井戸のロックを解除してキーを手渡すと、

コミュニティのチェアマンからプレゼントだと言って、鶏と、ピーナッツを頂きました。

10時30分に終わり、ランブクの井戸に向うと、さあ大変、ポンプが動かない。

引渡し式どころではない。

井戸の底に溜まった泥揚げが十分でなかったようだ。ポンプの中に泥が詰まって駄目に

なったようだ。結局、ポンプをばらして、シャフトとパイプを少しあげることになり

修理した井戸をまたやり直し。一人井戸のフンディ(職人)がいたので、その人が

中心になってシャフトとパイプを切断、事無きを得た。

3時過ぎに水が出るようになり引渡し式も完了。アフリカ時間を感じた1日でした。


9月29日 移動日(ナイロビへ)

9月30日 車の修理、日本への通信。(ナイロビ泊)

2002/9/29

移動日(ナイロビへ)

久しぶりにランブク村を離れます。明が運転で、私が助手席、後部座席は荷物と、エリック。

荷台には一圭、ジョシュア、ニコラス、サム。何でサムが乗ってんネン。

サムは、キスムまで送ってくれました。(帰りまたバス賃要るのに。)

サムは別れ辛かったんだろうな。ピックアップの荷台に3人乗せて

(ケニアでは荷台に人を乗せてもOK!)いざ行かん。距離は400キロ。

途中3粒ほど雨が降ったが、大雨にならず、ラッキーでした。

夕方、ナイロビに着いてジョシュアとエリック、ニコラスを降ろして、ユースホステルへ到着しました。


2002/9/30 

車の修理、日本への通信。(ナイロビ泊)

明はピックアップの整備に、整備士の酒井さんの工場に。

一圭は、両替にナイロビ市内へ。

ジョシュアは、エリックとニコラスがナイロビ初めてなので市内観光。

私は、たまりに溜まった日記と、メールの整理に1日かかりました。何処へも行けずあー情けナ。

10時頃、デニスから電話があって、一度会いたいと言うようなことを行っているので、午後に会おうと

約束したが、二人とも帰ってこないので会えないな。と、思っていた。午後になるとカニケラーアクション

グループのチェアマンからも電話がかかってきて、デニスの事務所で会うからと、約束したが、結局

会うことが出来なかった。最終的に明日の朝出発前に、ユースホステルに来てもらうことになった。


2002/10/1

新しい月が始まりました。昨日カニケラーアクショングループのデニスから電話があり

朝から彼らがユースホステルへやってきました。井戸掘りの評価が聞きたいとの事でした。

今後のこともあり、色々な話し合いができました。今後とも協力体制は維持していく予定です。

ジョシュア、エリック、ニコラス達もそろい、その後オキディ氏と会う約束になっていたので、

事務所へ行きました。彼は忙しいのですが7日に、飛行機でキスムまで来てボンド県庁に

一緒に言ってくれることに成りました。彼と約束した後、11時にナイロビを出発したのですが

シティーを出るのに渋滞があって、エンブ市に着いたのが、2時少し前でした。

エンブ教会、EMケニアに着いたのが2時30分でした。


2002/10/2、3、4

はEMの講習を受けました。明は3日の朝、熱が出て、

マラリアと判明してホテル住まいです。5日には復帰できました。

ジョシュアとエリック、ニコラスは一生懸命講習を受けていました。

10月6日朝にはエンブを出発して、ナイロビを通らずに10時間かけて、ランブク村へ帰ります。

エリックとニコラスは3ヶ月研修を受けて、明が1月にケニアに来た時に引き取る予定になっています。

2002/10/6

朝起きて、色々考えて、今日出発と思うと約10時間かかるな。明は運転無理だろうな。

しかしケニアで免許証の無い自分が500km走るのも不可能だし、どうしようか?ふッと、思ったのが、

一人で片づけをしにボンドへ帰ろう。EMケニアの運転手を借りて、ジョシュアと帰ろう。と、早速、

ダイレクターの塩尻さんにお願いしますと、快く、OKして下さり、ケニア人ドライバーのチャールズさんを

貸してくださいました。ホテルへ帰り、明に話をして、一圭には看病に置いていくからと、話を決めて

午前11時にエンブを出発しました。まず、ナクルに向って、山越えです。ケニアの雄大な景色の中を

走るのですが、携帯も繋がりません。かろうじて、さしかかった小さなタウンの中で、ケンセル(携帯電話の会社)の

タワーを見つけたので、オキディ氏に連絡を取ろうと電話をかけると、彼は用事で今キスムの近くにいてる

との事です。午後に用事が済めば電話をするとの事でした。ほんの一瞬の時間でしたが彼と話が出来て、

少し安心しました。実は、URYU事務所設置場所に対する、ボンド県の知事のレターの許可のあて先が

URYUではなく、YRYUになっていたし、URYU事務所の設置も明確ではなく、ただ、診療所の土地の

開発をよろしくたのむ。と言うような内容になっていてこれは問題だというので、オキディ氏に再度依頼をして、

明日キスムまで飛行機で来てくれることになっていたのでした。午後3時ナクルに到着して、昼ご飯を食べ出発。

オキディ氏からの連絡待ちになっていたが、これ以上走ると電話の状態が悪くなるのでもう一度電話を

かけることにしました。すぐに通じて彼のほうは今キスムを出たところだから途中で出会って話が出来る

だろうとの事でした。電話ではなかなかうまく通じず、会って話が出来るのがベストだと思っていたので

ラッキーでした。そうして、もう一つ懸念していた日本への連絡でしたが、智恵さんからうまく電話を

かけてきてくれて、事情を話すことが出来て、これも本当にラッキーでした。オキディ氏とケリチョウの手前で

出会うことが出来て、とりあえず、明日の月曜日に、ジョシュアと私で県庁へ行ってみて、それで駄目だったら、

火曜日に、オキディ氏に来てもらうということにしてわかれました。その後も一路カニケラー村に向って走り、

漸くオキディホームに到着しました。午後8時30分でした。それから、3人でインスタントラーメンを食べ、

長い1日を終わろうとしたのですが、ジョシュアがチャールズと一緒にニコラスの家へ彼が研修を3ヶ月

受けてから帰ってくることを伝えに行ってくれ帰ってきたのは11時でした。オキディホームで3人で寝ることに

なりましたので、待っていました。

今日も1日ありがとうございました。


2002/10/7

カニケラーの久しぶりの朝日を、拝み1日が始まりました。この前オキディ氏からの依頼を受けて

県庁へ行ってくれた、ジョシュア校長先生に同行してもらおうと思い彼のうちへ向う途中で彼と

出会うことが出来、そして、彼ともう一人コミュニティのメンバーを連れ、ボンドに向うことに

しました。その前に彼らが建築中の診療所を見てくれと、言うので行きますとプラスター仕上げを

していました。そして、便所をつくるので掘りかけたが2Mも掘ると硬い岩だから、場所を変えると

いって、URYUの事務所建設予定地のど真ん中を指差すのです。

「こちらに開発しろと言いながら、勝手な計画で事を進めては行けない。君らがそうするなら、

我々は手を引く。我々はこの場所に井戸も掘り、診療所の待合や衛生教育などのできる

多目的ホール等を計画している。そういう計画もすべてなくなるがをそれでも良いなら

勝手にしろ。」と、

少しきつく言うと、「そんな事は決してない。どうかあなたの計画どおりにして下さい。」とのこと。

しばらくは沈黙があった。

この現状を知らずに日本に帰っていたら計画が吹っ飛ぶところだった。

その後県庁に行くと、知事はまだ来られてなくて、今日は11時に出勤だろうとの事だ。

そうこうしていると、知事が来られこちらの名刺を渡して書類を作って頂いた。

今からニャンザ州のDCに出かけねばならないと、署名するなり出かけていった。

事務所にいたのがほんの30分。本当にタイミング良く来て、こちらの思惑通りに事が

運びありがたかった。

午後、ジョシュアとチャールズに、残っている家族調査を頼んで行ってもらい、一人で、

荷物の整理を始めた。

最初は、自炊のつもりで来たので、沢山のレトルト食品を持ってきたのですが、

オキディ家の協力によって毎日食事を作ってくださったので殆ど食べず仕舞い。

それを、スチールケースに詰めると一人で持ちきれないほどの重さになりました。

彼らが午後7時30分に帰ってきて夕食を一緒に済ませ、1日が終わり床につきました。

今日も1日ありがとうございました。


2002/10/8 

1ヶ月、お世話になったオキディ氏のお母さんと、料理を1ヶ月作ってくれた、使用人のキニさんに

何かお礼をと思い、履物と巻スカートを買いにボンドへ行きました。スチールケースももうひと箱買いました。

その箱には自分のシャツとズボン。明の着替えなどを詰めました。こちらに来て買った炊事道具他、ダンボール箱

4箱。かなり多い荷物になりました。ジョシュアとチャールズには午後からも再び、家族調査をお願いしました。

大体ランブク地区の7割の家を調査し終えることが出来ました。荷造りもほぼ終わり、今夜やすんで明日寝袋と

マットレスを片付ければ、出発できます。明のことも心配だし明日朝エンブに向う予定です。

2002/10/9

色々お世話になり、心づくしのもてなしをして下さった、オキディ家を後にして8時出発。

チャールズの安全運転のおかげで無事6時少し前にエンブへ帰りつくことができました。


2002/10/10

明のケニアでの12年間の支援活動の最初の仕事ととも言える、メルの診療所と、

昔一緒に活動していた小黒さんの自宅を訪問。診療所は少しこじんまりとした印象ですが、

立派なものでした。昼食は小黒さん一家の外食にお相伴に預かりました。ごちそうさまでした。


2002/10/11

6日に帰る予定が思いがけず、長居をさせて頂いて、おまけに、毎晩塩尻夫人の手料理を頂き

本当にお世話にばかりなり、ありがたいやら、申し訳無いやら。やっと明も復活。いとまごいをしてナイロビへ。

と、その前に・・・・・1週間ほど前から私の右足の薬指が実は赤く腫れて真中が白くなって・・・・・実はヂガに

産卵されてました。朝からクリニックでヂガの卵を指先から抜いて治療してもらいました。全然痛くなかった

けれどビックリしました。午前11時30分頃お世話になったエンブを後にして、YMCAへ。

2002/10/12

今日は午前中、テッコーのオフィスに顔をだして、リコンファームを確かめて午後にカニケラー

アクショングループのデニス達と会います。これで今回の仕事は終了です。後、13日、14日は帰国準備。
ケニア時間15日18時20分ドバイ行きエミレツ航空にてフライトです。バンコクを経由して日本時間16日

21時30分タイ航空TG626大阪関空に到着予定です。
これで、私のケニア日記は一応終わりです。

次の機会をお楽しみに。